律法と御霊

2コリ3:6「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです」
私たちは毎日聖書を読んで生活しています。つまり、文字によって生かされているのです。しかし、パウロによるなら、文字だけではダメなようです。それは「おおい」が掛かっているからです(14)。「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです(16)」 さらに主は御霊(17)だと宣言しています。聖書をおおいの掛かったまま読むなら死んでしまいます。律法を律法として人の力で守ろうとするからです。しかし、主に向かい「私にはあなたが必要です」と告白し、神との和解を受け入れ、聖霊に満たされるなら、もはや律法の下にいる者ではありません。律法と聖霊は1セットだと思います。どんなに頑張っても、律法を遵守し通すことはできないのです。律法は神の助けを必要とするための、神の知恵です。「わたしは頑張って、律法を守っています」…こんな言葉を聞いたとき、がっかりします。その人は顔におおいが掛かったままだからです。おおいが取り除かれ、御霊に導かれるとき、聖書の言葉は開かれ、人の霊と魂は生かされるのです。