クレタのパラドクス

テトス1:16「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です」
クレタ人の預言者が「クレタ人は嘘つき」と言うなら、その言葉自身も嘘になるという矛盾をかかえていますが、パウロは客観的にその言葉は本当だと証言しています。この箇所は「自己言及のパラドクス」として、論理学でよく取り上げられるものです。その預言者が嘘を言っているかどうかは、自分の目で確かめれば良いでしょう。そして、パウロは確かにクレタ人の素行の悪さ、信仰に対する姿勢を強く批判しています。信仰は目に見えないもので、もし「私は神を信じている」と誰かが言うなら、否定する根拠はありません。しかし、パウロは行ないでは否定している…と言っています。つまり、信じているかどうかは行ないを見ればわかる、ということです。ガラテヤには御霊の実が書かれていますが(カ゛ラ5:22)、聖霊を受けた人は徐々に実を実らせていきます。信じているとは言いながら平安がなく、いつもイライラして、怒りっぽく、人を裁いてばかりの人がいたらどうでしょうか?人を愛さず、自分勝手で欲張り…おまけにクレタ人は「怠け者、食いしん坊」とまで言われているのです(12)。神のいない世界はクレタにとどまらず、どこでも同じです。それでもテトスはクレタで牧会を続けたのです。宣教の場所が易しい場所だけとは限らないことの教訓です。