ペリウシアス

テトス2:14「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした」
人を聖めたのは、人のためでなく神ご自身のためだと書かれています。私たちが良い行ないをするのも、聖められて正しい道に歩むことも、すべては神のためです。もっと詳しく言うならば、神の栄光のためです。「ご自分の民」は原語ギリシャ語では「periousios(ペリウシアス)」となっており、所有するという意味の単語です。私たちには自由な意思があり、神に従うことも、従わないことも自分の意思で決定することが出来ます。しかし、いのちを所有しているのは神です。神ご自身の所有物ならば、神の都合の良いようにしても誰も文句は言わないでしょう。それにもかかわらず、神は人を痛めたり、雑に扱ったりはしません。肉のゆえに不自由な私たちを救い出し、自由に神を礼拝するように造りかえてくださるのです。それは肉の思いがいかに神を求めるにはふさわしくないかを裏づけるものです。神がそこまでして、ケアしなければならないほど、人が神の栄光を現わす存在としてはふさわしくないものなのです。それでもひとたび聖められたなら、どれだけ周りの人々に影響を及ぼすことでしょう。神が生きておられることを証明できるのは、神によって選び出され、聖霊を受け、救いを信じるクリスチャンだけなのです。