王妃にふさわしい

エステル2:16「エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった」
王妃ワシュティがアハシュエロス王の呼びかけを拒否したのは治世3年のことだとあります(1:3)。その結果、王妃はその立場を追われ、王宮にはいられなくなりました。それから新しい王妃候補の探索が始まります。若くてきれいなおとめたちは、王に呼ばれるまで最低1年を費やさなければなりませんでした。それは、6ヶ月没薬できよめ、さらに6ヶ月で香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することになっていたからです(12)。仮に毎日1人の王妃候補が王と面会したとしても、1年で365人。エステルが自分の順番が来るまで4年の月日がかかっていました。それは王妃の候補として選ばれたおとめたちが1500人以上いたことを示しており、いわば現代のミスユニバースとかミスワールドのようなものです。エステルはこのオーディションを勝ち抜きミス・ペルシャに選ばれたのです。もちろん王妃になるには美しさだけではだめです。気品や教養、寛容な心や語り方やしぐさに至るまで、あらゆる条件が必要です。アハシュエロス王はワシュティを民の前に披露しようとしました。それは王妃は国民の前でも美しく上品でなければならないからです。王はエステルこそ、あらゆる条件を満たし、国民の前に披露しても大丈夫だと確信したのだと思います。