この時のため

エステル4:14「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」
前王妃のワシュティは王とは別の場所で宴会を開いていました。つまり王妃といえども王に次ぐ権力もなく、一緒に生活していたわけでもなく、まして政治に介入することなどあり得なかったのです。しかも、謁見に際しては王からの呼び出しがなければなりませんでした。現代の妻の感覚をそのままエステルの時代に当てはめようとしても無理があります。妻と呼ばれる存在であっても、常に側にいるわけでなく召し出されない限り王の前に立つことはできませんでした。もし、勝手に王の前に立つなら死刑です。しかし、王が持つ金のしゃくを差し出すなら許されるというルールがありました(11)。エステルが王に直接会って、ユダヤ人が迫害にあっていることを訴えられるのはたった一回のチャンスしかありません。王の前に出た瞬間に殺されるかもしれないからです。エステルは周りに断食を呼びかけ、主の御心がなるように祈りました(16)。モルデカイは、おそらくエステルは王に直訴することは御心だと感じていたようです。なぜ、そこにいるのか?…自分の居場所はあっても、そこにいる必然性を感じないときもあるでしょう。しかし、主はすべて御心のままに人を動かし、時にかなって必要な人材を配置してくださるのです。