窮屈な心

2コリ6:12「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです」
窮屈とは身動きがどれないような狭い場所にいるときに使います。心が狭い人は、近くにいても嫌なものです。日本語の「心が広い人」は、寛容さがあり、受け入れる度量の大きさを表わす言葉です。逆に「心の狭い人」は、差別的で、自己中心的なイメージがあります。おそらく、聖書の心が狭い、という言葉も日本語のニュアンスと同じだと思います。自分が人を許さなければ、許されません。心を狭く保つのも一苦労だと思います。「わたしは親切にしたのに、あの人はそうではない」などと、人を裁きはじめるなら、サタンの思う壺です。そういう思いは、いつも心を支配し続け、心の休まることはありません。毎日疲れ、最後は自暴自棄に陥るでしょう。コリントの人には大事な心のあり方が欠けていたのです。愛と許すは表と裏の関係にあります。しかし聖書に反することを許すわけにはいきません。未信者よりクリスチャンを許すほうが難しいのです。