惑わされない

マタ24:24「にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます」
病気になるならなんとか苦しみから解放されたいと思うものです。主には癒しの力があり、イエス様は数え切れないほどの病をいやされました。イエス様が触れてくださるなら目の見えない人でも、耳が聞こえない人でも、また歩くことが困難な人もすべていやされます。また、イエス様に近づき、たとえ衣の房にさえ触れることができればいやされます(9:20)。これらのことは信仰によってなされるわざです。主は人の信仰に応じてわざをなさいます。神の器でなければいやされないと思う人も多くいますが、信仰があるなら神はどんな人の祈りにも応えられると信じれるはずです。サタンは人の弱みにつけこむスペシャリストです。目に見えるものを信じることは簡単でしょう。大きなしるしや不思議なことに心を奪われてしまうならサタンの思うつぼです。「キリストはこうおっしゃっている」と聞いても、聖書から逸脱しているならそれはニセモノです。世の権威はすべて聖書に帰するものです。クリスチャンには御言葉が与えられているのだから、あたかも聖書以外に神が何か新しいことを言った、というようなまがい物の教えには注意しなければなりません。信仰も祈りも御言葉に起因するものです。