正しいはかりで

ヨブ31:6「正しいはかりで私を量るがよい。そうすれば神に私の潔白がわかるだろう」
ヨブはあくまで自分の潔白を主張したいようで、もしヨブが間違っているなら自分の植えた作物も(8)、さらに自分の妻さえもなくしてもいいと言うのです(10)。ものすごい自信です。後世の研究者たちは、皆口をそろえて「ヨブは自分を正しくして、悔い改めなかった」…と言いますが、本当にそうなのでしょうか?あえてヨブを弁護するなら、彼は自分の子どもたちのために全焼のいけにえを捧げ、自分の息子たちがひょっとして神に罪を犯し、神をのろったかもしれない、と細心の注意を払って主に接していました(1:5)。彼は主に拠り頼み、礼拝する人だったのです。彼の心の拠りどころは主が人に与えた戒めでした。ヨブの中には「正しい」と「正しくない」の境界がはっきりしていたのだと思います。もし、ヨブの確信が揺らいだならば、彼は何を信じたらいいかわからなくなってしまいます。まさに、今そのことがヨブに起きているのです。しかし、人生における自分に都合の悪いことはすべて罪に起因するという発想そのものが間違いなのです。ヨブの友人たちはそのことになかなか気付くことができません。読んでいて、非常にストレスのたまるやり取りですが、人の人生には必ずそのことが起こります。むしろ、人の信仰は試されて成長するのです(1ペテ1:7)。何か悪いことが起きたとき、罪のせいだと思わず、主からの問いかけだと悟ることができれば幸いだと思います。