何度も救われ

詩106:43「主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた」
モーセ以来の数々のイスラエルの不従順が書かれ、それにもかかわらず主が忍耐してイスラエルの民を救っていることが書かれています。葦の海(紅海)が2つに分かれたことや(7)、ホレブの子牛事件(19)、シティムの偶像礼拝(27-30)、メリバの水不足(32)が挙げられています。そして、「主は幾たびとなく彼らを救い出され」とあるように、ことある度に主がイスラエルを滅ぼされずに、彼らを赦したと書かれています。それでもイスラエルの民は主を覚えず、さらに不義の中におぼれたのです。彼らが主を慕い、主の言われたように行く先々で異邦人を聖絶していれば、イスラエルの歴史も変わっていたかも知れません(34)。異邦人を放置したことにより、彼らの偶像も受け入れ、やがては偶像を拝むようになったのです(36-38)。それでもイスラエルの民を嘲笑したり、さげずむことはできません。なぜならイスラエルは現在のクリスチャンのひな形だからです。どんなに完璧に人生を送ろうとしても、神の助けなしではできません。106編はそれを後世に伝える歌なのではないでしょうか。