やっと救い出され

2サム22:19「彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私の支えであった」
21章には2つの出来事が書かれており、1つはサウル王一族の結末ともう1つはペリシテとの最終決戦です。この2つが結末を向かえたことでダビデの持っていた大きな心のしこりはなくなったといえます。それゆえこの章の始めに「すべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日(1)」とことわりが書かれ、ダビデの感謝の歌が残されています。この歌はそのまま詩篇18編に残され、ダビデの賛歌として有名です。ダビデの一生を思い返すなら、決して安泰な人生でなかったことがわかります。ときにはわざわいもあり、悲しみと失望に心が折れることもあったでしょう。しかし、ダビデの一貫した態度は主に対する思いと礼拝への献身だったように思えます。祝福と恵みを祈ることは悪いことではないですが、いつもそうなるとは限りません。それは主の用意された人生が祝福されたものだと信じることからきています。主は人を試み、信仰を試されます。すべての結果が良いもので、自分に都合よくなると考える人もいるようですが、主のご計画は私たちには理解できないものです。喜びも悲しみもいつも共にいてくださる方が主であり、クリスチャンが信仰を持つなら一生主と共に歩むことを覚悟しなければならないのだと思います。