死ぬ間際に見つかった勇士

1歴26:31「ヘブロン人のうち、エリヤは、その一族その家系によるヘブロン人のかしらであった。ダビデの治世の第四十年に、彼らは調べられ、そのとき彼らのうちにギルアデのヤゼルで勇士が見いだされた」
よりによってダビデの最後の治世の年に勇士が2700人も見つかります(32)。ギルアデとヤゼルの土地はヨルダン川の対岸の土地で、ヨシュアの時代に各部族に土地を割り当てたときに、家畜に適した土地だということでルベン、ガド、さらにマナセの半分が川を渡らず居残った場所です(民32:26)。これらの部族が毎回ヨルダン川を渡ってエルサレムまで礼拝しに行くには遠く、ルベンが独自でヘブロンに祭壇を築いた記録があります(ヨシュ22:10)。そんなちょっと僻地にも似た場所に勇士が残っていました。勇士は英語では「capable men」となっており、直訳では「役に立つ者」とか「能力の高い者」という意味になります。そのような有能な者たちがさらに2700人も加えられ、神殿での奉仕の準備も整ったことが23章から27章に渡って書かれています。ダビデは自分では神殿を建てられませんでしたが、それでいじけてしまうのではなく、最善、最高の準備を整えてソロモンにバトンタッチしたことがわかります。ダビデが死ぬ間際に見つかった新しい2700人もの奉仕者たちは、彼の神殿準備に拍車をかけた結果になりました。