礎よりもまず祭壇

エズラ3:2「そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた」
いけにえを捧げることは、神殿が作られる前からのもので、モーセの幕屋以前からありました。最も古い記述はノアが箱舟から降りてすぐに祭壇でいけにえを捧げたものです(創8:20)。そして最もユダヤ人たちが心に記憶しているのは、アブラハムがイサクを全焼のいけにえとして捧げようとした出来事でしょう(創22:2)。とにかく神の前に進み出るときは「いけにえ」なのです。モーセの時代に律法として、罪を購うためにいけにえを祭壇で捧げることが定められました。ヨシュアの時代にヨルダン川の渡らなかった部族ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、川のほとりに祭壇を築きました(ヨシュ22:10)。2つに分かれたイスラエルとユダですが、エルサレム神殿のないイスラエルはサマリヤに祭壇を作っていました(1王16:32)。どんなことがあろうと神との交わりの際にいけにえは欠かせないもので、祭壇は神殿よりも先に作られました。まず、崇め、感謝し、ほめたたえる…これらの行為がなくしてどうやって神と交われるでしょうか?彼らは国はなくしましたが、主への信仰の炎はそのまま残っていたのです。