人が神の役に立つ?

ヨブ22:2「人は神の役に立つことができようか。賢い人さえ、ただ自分自身の役に立つだけだ」
ヨブも次第にエスカレートしてく様子がわかります。それでも「まず、私が語るのを許してくれ(21:3)」と冷静さを保ち、なんとか友人たちに自分の思いを伝えようとしています。エリファズも3回目のヨブへの反論となり(1回目4章,2回目15章)、ここで渾身の反撃に出ます。「人は神の役に立つことができようか」とはヨブには耳の痛い言葉だと思います。それは人の神への思いを根本的に崩すものです。どんなに頑張っても神の役には立てない…とは辛らつな言葉です。しかし最後は「神は罪ある者さえ救う(30)」で締めくくられています。エリファズは3人のうち最初に語ることから年長者だと推測 されます。彼もまた神を信じ、神とともに歩んできたヨブの友人なのです。エリファズの神の理解は人のどんな行いも神には届かず、ただ主のみ心のままに選び救い出されるだけだというものです。主はへりくだる者を救います(29)。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである(イザ57:15)」とある通りです。