悩みの炉で

イザ48:10「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた」
「練る」のヘブル語は「tsaraph(ツァラーフ)」といい、「試す」とか「精錬する」の意味があります。練るといっても、こねるわけでなく、熱を通して他の金属との融解温度差を利用して、銀だけを取り出すというものです。古代日本でも同じような手法が使われており、金や銀を精錬するにはよく知られた方法だと言えます。ここでは、熱を加える「炉」(ヘブル語で「kur(クー)」)が「悩みの炉」だと書かれています。多くの悩みを通った人は練られ、深い人格を得ることができます。パウロは患難は忍耐を、忍耐は練られた品性を、練られた品性は希望を生み出すと語っています(ロマ5:3-4)。人は壁にぶつかって、粉々に砕かれなければ次のステップに進めないのです。人生すべてが順調で、何の苦悩も味わ ったことがないという人はまれに見かけますが、そういう人たちは忍耐力が欠け、品性に乏しい場合が多いようです。それでも自ら「悩みの炉」に飛び込みたいという人はいないでしょう。それは神が決めることです。人は悩み、主に解決を求めるときに、主は応えてくださるのです。