主の心に定まった日

イザ63:4「わたしの心のうちに復讐の日があり、わたしの贖いの年が来たからだ」
主の定めは予定通り行われます。ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり(伝3:1)」と言い、すべては神のみ心のままになることが書かれています。イエス様ご自身も「自分の主が、いつ来られるか、知らないからです(マタ24:42)」と言われ、さらに再臨の時に加えて「終わりは、すぐには来ません(ルカ21:9)」と、世の終わりのときも伏せておられます。ペテロも「主の日は、盗人のようにやって来ます(2ペテ3:10)」と語っています。最後の時は主ご自身が知っており、イザヤの預言から見れば、主の決められた年と日にはすみやかに復讐と贖いをなされることが分かります。それでも全く分からないわけではなく、いくつかのヒントはイエス様の小黙示の中にあります(マタイ24章、マコ13章、ルカ21章)。またイエス様は3つの福音書で共通して「惑わされないよう気をつけなさい(マタ24:4、マコ13:5、ルカ21:8)」とも言われています。主の隠されたことがそう簡単に人に知れることはないでしょう。我こそは…という聖書を解き明かす人こそすでに惑わされているのです。