美しい宮は火で焼かれ

イザ64:11「私たちの先祖があなたをほめたたえた私たちの聖なる美しい宮は、火で焼かれ、私たちの宝とした物すべてが荒廃しました」
神殿が炎上したのは、AD70年のユダヤ戦争のときです。ローマは当時世界最強をうたっていましたが、ユダヤ人の反乱鎮圧には意外に手こずっています。AD68年のユダヤの反乱が始まった当初は、ユダヤ人有利に戦況を進めていましたが、ユダヤの主要指導団体、シカリウス派と熱心党の対立が反乱の最中に勃発し、ローマとの戦いに支障が起きてしまいます。そんなユダヤ人の不協和音も手伝って、ユダヤの戦況悪化は必至でした。ローマ軍の計画では、黄金をふんだんに使った神殿は残しておき、ユダヤ人だけを捕虜にする予定でした。ローマのエルサレム包囲は兵糧攻めとなり、ユダヤ人は城壁の中で飢餓状態となります。それでもユダヤ人は降伏せず、そのため最終手段としてエルサレムに火が放たれてしま います。ローマ軍は神殿を守ろうとしますが、火の手はすでに神殿に回り手の施しようがなかったとユダヤ戦記に伝えています。まさしくイザヤの預言に書かれているとおりです。現在残っているのは焼けても崩れなかった神殿の東側の壁で、「嘆きの壁」として有名です。