神のあかし

1ヨハ5:9「もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです」
人が神を証しするものの中には、あるいは人の思い込みや勘違いも含まれているかも知れません。もちろん吟味は必要ですが、それでも人が神の存在を信じ、神のなさったことを知らしめようと証しすることは良いことです。それにも増して神ご自身があかしされるなら、これに勝るものはないでしょう。最も効果的なのはイエス様が天に昇られず、地上に残りすべての人にその存在を見せるというものだと思います。しかし、それはあくまでも人間的な考えであって、神のご計画とは違っています。神のご計画は、すべて神を信じる者を通じて神を知り、体験してもらうものです。あくまでも人が神の象徴となり、人の行いや考えが、神を知らせる道具となるのです。我々クリスチャンはそのための管となり、神 を知らせる器とならなければなりません。それを支えるものは神ご自身のあかしにほかなりません。神があえて証しする必要もないのでしょうが、キリストについてあかしされた、「血」「水」「聖霊」に関しては誰をも反論できない確固たる事実であり、神のあかしなのです。