ラハブとバビロン

詩87:4「わたしはラハブとバビロンをわたしを知っている者の数に入れよう。見よ。ペリシテとツロ、それにクシュもともに。これらをもここで生まれた者として」
ラハブそのものの意味は、「嵐」とか「高慢」というもので、それ以外では海に住む巨獣として登場しています(ヨブ26:12)。ここでは巨獣を指すのは不自然なので、イザヤ書のエジプトを「何もしないラハブ(イザ30:7)」と呼んでいることからおそらくエジプトのことだと考えられます。バビロンは黙示録にいたるまで、悪の象徴のように書かれていますが(黙17:5)、それでもバビロンは主のご計画の一部となり「わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザル(エレ25:9)」と書かれるほどに用いられたことがあります。ここでは宿敵ペリシテやツロまでもが、「ここで生まれた者」とされています。「ここ」は次の節の「シオン(5)」にかかっています。シオンはもちろん聖なる山をもつ、主の隣在される場所のことです(48:12)。コラの子たちには主の都のまぼろしが見えているのでしょうか?彼らの賛美の中には、平和に満ちた神の隣在されるシオンがはっきりと書かれています。ペリシテ、すなわちパ レスチナも最後には主の前にひれ伏して、人種の垣根を越えて礼拝する時がやってくるのでしょうか?