ラッパの音が響くその日には

黙10:7「第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する」
「もはや時が延ばされることはない(6)」に使われている「時」はギリシャ語で「chronos(クロノス)」で、これに否定の副詞「ouketi(ウケイティ)」が付けられています。9章ではすでに人類の3分の1が殺されています(9:18)。神の怒りもいよいよ本番という感じですが、多くの人はこの前に神を信じる者は天に引き上げられていると信じています。しかし「額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された(9:4)」とあるように災いの真っ只中にも神の民は存在しており、神の恵みにより害を免れます。これは1995年にティム・ラヘイとジェリー・ジェンキンスによる「レフト・ビハインド」という小説の影響だと思われます。特にペンテコステ系の人たちはこのストーリーに飛びつき、携挙とはこうなるものだと勝手に思い込んでしまったのです。確かに、テサロニケにはラッパの号令で生き残っている者たちが引き上げられることが書かれています(1テサ4:17)。み言葉は必ず成就しますが、携挙ばかりに注目が集まりすぎているのもいかがなものかと思います。