聖霊をけがす者

マコ3:29「しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます」
マタイでは「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません(マタ12:31)」となっています。「聖霊をけがす者はだれでも」は唯一の例外を指しています。マルコはこのことはパリサイ人が神から油注がれたイエス様を汚れた霊につかれてる、と言ったからだと説明しています(30)。パリサイ人はイエス様を「悪霊どものかしら」と同等に扱い、イエス様を侮辱したのです(22)。悪霊を追い出すのはお前が悪霊のかしらだからだろう…と言わんばかりの言いがかりです。イエス様ご自身の侮辱については赦されるとされましたが、いざパリサイ人に聖霊が望まれるときが来たなら、それに逆らったり汚したりはできないと言われているのです。神から油を注がれた者が、その油をはねのけたり、拒否した例は聖書には書かれていません。ダビデがサウルに手をかけなかったのは、サウルが油そそがれた者だったからです(1サム24:7)。油そそぎが、絶対不可侵の神の領域であるならば、それを侵す者の結果はとこしえの罪に定められるのは当然ではないでしょうか。