むだなことである

マコ7:7「彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから」
イザヤ書からの引用です。「人間の教えを、教えとして教えるだけ」の部分はイザヤでは「彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない(イザ29:13)」と訳されています。訳の違いはありますが「わたしを拝んでも」「彼らがわたしを恐れる」のも、「むだ」ギリシャ語では「maten(マテン)」だと言われているのです。主を恐れることや礼拝することが「むだ」なことなどあるのでしょうか?それは神が伝えたかった人の命を救うための律法ではなく、人が独自に判断した、行ないを見せることによって神への忠誠を示しているだけでした。マタイの中でイエス様はパリサイ人を痛烈に批判する箇所があります(マタ23章)。「言うことは言うが、実行しない(マタ23:3)」「していることはみな、人に見せるため(マタ23:5)」「宴会の上座や会堂の上席が大好き(マタ23:6)」などと、言いたい放題です。マルコでも彼らの行ないを「神のことばを空文にして(13)」いると言われ、まったく同情の余地なしという感じです。彼らは神と人を愛するという、イエス様の言われた二大律法からは離れていたのです(12:30)。