天からのしるし

マコ8:11「パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである」
天からのしるしを求めるのはマタイにも書かれています(マタ16:1)。なぜ天からのしるしを見ることが、「ためす」ことにつながるのでしょうか?すでに弟子たちには風も波も支配できることを見せています(4:39)。天から火が降ってきたら、パリサイ人は喜んだのでしょうか?おそらく喜ぶどころか泣きそうになったと思います。マタイではヨナのしるし以外は与えられない、と言われています(マタ16:4)。ルカでは「ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めた(ルカ11:32)」とあります。しるしは目に見える形で現れる何かです。イエス様が救世主であるならば、何か見せてほしい…と考えるのは普通の反応だと思います。しかし、ヨナの説教で悔い改めたニネベのことだけが唯一の目に見える証拠であり、バプテスマのヨハネが来て悔い改めを説いても従わなかったパリサイ人に他に何を見せればよいのでしょうか。超自然な何かがしるしだと思い込んでいるから「天から」何か見せろと言うのです。バプテスマのヨハネをないがしろにしておいて、イエス様が「悔い改めよ」と言っても聞くはずがありません。