わが子よ。わが子よ

2サム18:33「すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ」」
ダビデは「吉報」を待っていました(25)。それはダビデがヨアブとアビシャイとイタイにアブシャロムに手を出すな(12)と命じていたため、アブシャロムは生きて捕らえられると思っていたからです。「吉報」のヘブル語は「besowrah(ベソラー)」で、70人訳のギリシャ語では「euaggelion(ユアンゲリオン)」で「福音」に使われた語です。しかし、伝令者が伝えた内容はダビデの予想とは違っていました(32)。ヨアブは自分の畑に火をつ けたことを根に持っていたためアブシャロムに手を下しました(14:30)。それにしても勇者ダビデの自分の子どもに対する態度はどうも変です。アムノンが死んだときも、いつまでも悲しんでいましたし(13:37)、今回のアブシャロムも「わが子よ」とただ悲しむだけです。子どもに対する厳しい態度とか、叱責など、普通親が取る行動がダビデに見られないのです。異母姉妹を犯してもそのままで、アブシャロムが反乱を起こしたらただ逃げるだけという、とてもダビデらしからぬ行動が目につきます。優れた王が必ずしも優れた親ではなかったようです。