神々を神々でないものに

エレ2:11「かつて、神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろうか。ところが、わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替えた」
共同訳では「一体、どこの国が神々を取り替えたことがあろうか。しかも、神でないものと」という訳になっています。一度神だと崇めたならそう簡単に神を捨てないのが普通です。イスラエルの場合は、まことの神だとわかりながら、ほかの神を信仰するというちょっと考えられないことがなされていました。ステパノによれば荒野にいる40年の間でさえ「モロクの幕屋とロンパの神の星をかついでいた」とあります(使7:43)。荒野の40年といえば、モーセの幕屋が中心となり、レビ族がその道具を担いで移動していました(申31:9)。さらに主 ご自身は昼は雲の柱、夜は火の柱となりイスラエルの民を導いたのです(出13:22)。そんな最中に、民の一部はほかの神の幕屋と偶像をかついでいたのです。よくモーセが見過ごしたものだと思いますが、おそらくわからないようにうまく運んでいたのでしょう。主の律法が授けられ、約束の地にこれから入ろうとするときにすでに主を裏切っていたのです。これならば、どんなに神の栄光が輝いても、彼らには届きません。しかも神のようなまがい物を拝んでいたのです。