天の万象の前にさらす

エレ8:2「それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる」
死んでいるにもかかわらず、墓をあばき(1)、死人の骨をさらすのはとんでもない仕打ちです。しかもそれらの骨はユダの王たち、首長たち、祭司たち、預言者たち、さらにエルサレムの住人のものだとあります(1)。いかに主の怒りが大きく、背いた者に対するさばきが厳しいかがわかります。エレミヤは捕囚前から捕囚にかけての預言者で、まさに彼の目の前で預言は実現していくのを目撃しています。そのためエレミヤ書の表現は悲哀に満ち、これから起きるさばきと悲惨な光景が生々しく表現されています。エレミヤの別名は「悲しみの預言者」とか「涙の預言者」と呼ばれ、長期にわたるイスラエルの背きの結末を見なければならない役目を負っていました。主は「倒れたら、起き上がらないのだろうか(4)」と訴え、普通失敗したら、立ち直ろうとするだろう…と人としても未熟なイスラエルを責めています。主はたとえ失敗しても、罪を悔い改め、贖えば、もう一度チャンスをくださるお方です。彼らにはそれがわからなかったのです。