主の名によって預言するな

エレ11:21「それゆえ、主はアナトテの人々について、こう仰せられた。「彼らはあなたのいのちをねらい、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかってあなたが死なないように』と言っている」」
アナトテはベニヤミンの土地からレビ族に分けられた土地で(ヨシュ21:18)、同時にエレミヤの出身地でもありました(1:1)。言わば同じレビ人同士の中にエレミヤのさばきの預言を快く思っていない人がいたことがわかります。しかし、主はそのような人たちを「罰する」と言われています(22)。現代にも預言者と呼ばれる人たちがいますが、彼らの言葉が聖書の記述と合致しているかどうかは吟味する必要があるでしょう。エレミヤは主から直接口を触れられ、み言葉を与えられて います(1:9)。パウロは「御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい」と語っています(1コリ14:1)。キリストの十字架以降、預言は「御霊の賜物」として残っており、聖書も預言は禁止していません。しかし、公の場で「主がこう言われている」と語ることには、充分な配慮と吟味が必要です。何よりも、主が残された聖書のみ言葉を差し置いて、預言者の語ることを優先させるわけにはいきません。本物の預言者は御霊の実を結んでいる人であり(ガラ5:22)、愛のある人です(1コリ13:8)。