もし、あなたが帰って来るなら

エレ15:19「それゆえ、主はこう仰せられた。「もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。彼らがあなたのところに帰ることがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない」」
古代ヘブル語にも「もし…ならば」という、仮定法に使われる言葉がありました。「'im(イーム)」という語で、可能性あるいは不可能な条件を表記するのに使われています。エレミヤは国が滅びるのはマナセ王の反逆のしわざだと預言します(4)。マナセは主の忌み嫌うことを繰り返し、「偶像でユダにまで罪を犯させた(2王21:11)」と書かれています。「もし、あ なたが帰って来るなら」とは、主が人に提示した最終条件だと思います。聖書に書かれていることは、神が人を愛され、和解を望んでおられるということです。それは、イエス様が語った放蕩息子の話にも通じます(ルカ15:11-32)。そして、エレミヤは「あなたは彼らのところに帰ってはならない」と語っています。すべては人の心の選択にかかっています。イザヤ書には「主の御手が短くて救えないのではない(イザ59:1)」とあります。神は最大限の譲歩をされました。自分の子を捧げ、十字架で人の犯した罪の贖いをしました。これ以上何を主に求めることがあるのでしょうか?もし、あなたが帰るなら…主の前に立てるのです。