自分の計画に従い

エレ18:12「しかし、彼らは言う。『だめだ。私たちは自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行なうのだから』と」
南ユダは北イスラエルアッシリアによって、侵攻され散り散りにされたことを目撃しています。それはヒゼキヤ王の時代に起こり、ユダ王国は主の奇跡的な方法により、アッシリアからの占領を免れます(2王18章)。エレミヤはヒゼキヤよりも3代あとのヨシヤ王の時代から活躍した預言者です(1:2)。エレミヤが悔い改めを説いて、主のことばとして人々に伝えようとしても、ある人たちはエレミヤを倒そうと狙っていました(18)。一度負け知らずのセナケリブの攻撃をはねのけた事実は、ユダにとって大きな自信になりましたが、高ぶる材料にもなったので す。「自分の計画に従い」というのは、人の持っている性質そのもので、決してユダの民だけが特別に持っていた性格ではありません。普段の生活の中にも、多くの選択を強いられる時があります。自分の都合だけを主張し、優先させようとするなら、人間同士でもいざこざやトラブルになるでしょう。ましてや、相手が神ならなおさらです。主は「もし…悔い改めるなら(8)」と条件を提示されています。それでも自分の都合を優先させるべきなのでしょうか?