わたしのしもべ

エレ43:10「彼らに言え。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしは人を送り、わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを連れて来て、彼の王座を、わたしが隠したこれらの石の上に据える。彼はその石の上に本営を張ろう」
ネブカデレザル(エレミヤ27章や列王記、歴代誌、エズラ、ネヘミヤではネブカデネザル)を「わたしのしもべ」と呼ぶのはこれが最初ではありません(25:9、27:6)。バビロンの王がイスラエルの神を信じていたわけではありませんが、神がネブカデネザルに思いを与え、導いたのは間違いないことです。ペルシャ王クロス(キュロス)も、イスラエルの神を信じてはいませんでしたが、主によって霊を奮い立たせられました(エズ1:1)。ネ ブカデネザルがユダヤ人の国を奪い、捕囚させた王であったとしても、神はバビロン王を「しもべ」と呼び、ご計画の一部とされました。「しもべ」のヘブル語「ebed(エベッド)」は「奴隷」や「召使い」の意味もあり、主人に仕える者を指します。必ずしも神を信じている人だけが、神からの命を受け行動をしているわけではないようです。イスカリオテ・ユダにはサタンが入った…とありますが(ルカ22:3)、ユダが裏切らなければイエス様の十字架もなかったのです。主が期待通りの物や人を用いるわけではありません。用いられるものは人の思いにはないものです(1コリ2:9)。