天の女王

エレ44:17「私たちは、私たちの口から出たことばをみな必ず行なって、私たちも、先祖たちも、私たちの王たちも、首長たちも、ユダの町々やエルサレムのちまたで行なっていたように、天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぎたい。私たちはその時、パンに飽き足り、しあわせでわざわいに会わなかったから」
いったいいつから「天の女王」にいけにえを捧げるようになったのでしょうか?子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて(7:18)…とあるように家族そろって礼拝を捧げていたようです。ステパノによればイスラエルの民は荒野にいるころからロンパの幕屋とロンパの神の星をかついでいた…とあります(使7:43)。モーセ十戒を 授かり、律法が与えられるころから、彼らの心は神から離れようとしていたのです。ここでは女性の神です。神を指すヤーウェ、エロヒム、アドナイ、クリオスなどは男性名詞で天には女性名詞の何かがいることは聖書に書かれていません。唯一、「聖霊」のギリシャ語「penuma(ニューマ)」は中性名詞となっています。そもそも霊に男性、女性の区別があるのもおかしな話です。しかし、教会だけはキリストの花嫁として女性の扱いをされています。もちろん教会がキリストの花嫁となるにはもう少し時間が必要ですが、エレミヤの時代の得体の知れない「天の女王」が天にいることもなく、偽りの神であることは確かです。