犬が彼の血をなめ

1王22:38「それから、戦車をサマリヤの池で洗った。すると、犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主が語られたことばのとおりであった」
主が語られたというのは「犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる(21:19)」とエリヤに語られた預言のことばのことです。またイゼベルも「犬がイズレエルの領地でイゼベルを食らう(21:23)」と預言され、エフー王のときにそれは起きました(2王9:36)。夫婦そろって人生の終わりかたは良いものではありませんでした。それでもアハブの死に方が宣告されると、彼は「外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し(21:27)」ました。この行為のゆえに主はアハブが生きている間はわざわいを思いとどまれました(21:29)。たとえ思い上がって高慢になったとしても、悔い改め、主に赦しを乞うならば、主はどんな罪であっても赦してくださり、用意しておいたわざわいを思いとどまってくださいます。もし仮に自分の身に神の懲らしめがあるのなら、悔い改めて主の前でへりくだり、祈り求めることが必要でしょう。イゼベルは結局悔い改めることなく人生を終えてしまいました。