黄金律

マタ7:12「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」
これは「律法」、ギリシャ語「nomos(ノモス)」だとイエス様は言われていますが、旧約の613の律法の中にはそのようなものはありません。ユダヤ人にとって律法を守ることは、それそのものが神に従っていることになり、律法にかなっているかどうかは気になることでした。それゆえ、「離婚(19:3)」や「納税(22:17)」などが律法ではどうなのかをイエス様に質問しています。律法なくして、福音書は語れず、律法が当時の判断基準の全てでした。その中で「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ(22:37)」と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ(22:39)」は、イエス様が指定した律法をフルカバーする2つです。それ以外にこの「黄金律」と呼ばれるものがあります。いのちは食べ物より大切で、からだは着物より大切なものです(6:25)。自分を大切に思うように、自分にしてもらいたいことはわかるはずです。それをほかの人にしてあげることは、すなわち「人を愛する」という律法を全うすることにならないでしょうか。