自分の敵を愛し

マタ5:44「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」
「敵」のギリシャ語は「echthros(エクロス)」で、憎しみを表わす形容詞です。「迫害」は「deoko(ディオコ)」が使われ、「従う」とか「従わせる」という意味もあります。どちらも自分にとって好ましくない単語です。自分に対して敵意を持つ人のために祈り、祈るだけでなくもっと進んで愛するためには、取税人(46)や異邦人(47)と同じようにしていてはできないことです。取税人は金に拠り頼む人を象徴し、異邦人はほかの神にすがる人たちのことです。そのような俗世間の人たちのようではなく、地の塩となり(13)、世の光(14)となるべく自分を変えるべきだと教えています。主は神 を信じない者のためにも太陽を昇らせ、雨を降らしてくださるのです(45)。神がたとえ自分を認めず、拝まない者であっても、分け隔てなく扱ってくださっているのなら、神のしもべの私たちが神の意志を無視して彼らに敵意を持つことはできません。とは言うものの、いざ憎まれる立場になり、その状況におちいったならば、果たしてイエス様の言われたようにできるかは疑問です。「さばいてはいけません(7:1)」は究極の悟りだと思います。