異邦人に公義を宣べる

マタ12:18「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる」
「公義」のギリシャ語「krisis(クリシス)」は、「さばき」や「訴え」という意味もあります。公義は「正しいさばき」のことでもあり、「正しい判断」と訳すこともできます。神が選ばれ、喜ばれたしもべは、「公義」を人々に伝えます。それは9節から始まる安息日に対する考えを改めることに集約されています(9-14)。手を治すことが公義ではなく、安息日に何をすべきか、神が安息日に何を望んでおられるのかがイエス様の言われたことです。それは今まで伝えられ、律法学者たちが大切に守ってきた考えとは違っていました。彼らのプライドと権威はイエス様によっておとしめられた形になったのです。パリサイ人が悔しさのあまり、イエス様を滅ぼそうと相談した(14)、とあります。イザヤの預言によるならば (イザ42:1)、イエス様ご自身も主の霊によって導かれ、「安息日に良いことをすることは、正しいのです(12)」と語っています。何もしないことが「安息」なのか、良い行ないは安息にも絶えず行われるのか、イエス様の示された神の指針です。