割礼を受けていない者たち

エゼ32:19「あなたはだれよりもすぐれているのか。下って行って、割礼を受けていない者たちとともに横たわれ」
割礼はアブラハム以降のユダヤ人全員が契約のしるしとして生後8日目に行ったものです(創17:12)。イエス様も割礼をしています(ルカ2:21)。割礼を受けていない人はユダヤ人でなく、神との契約の外にいる汚れている人のことです。少なくともユダヤ人からはそう見えています。しかし、パウロは律法の下にある者にとっては割礼は意味あるものですが、律法を破るなら、割礼も意味をなさなくなるものだとしています(ロマ2:25)。さらに外見のユダヤ人をユダヤ人とせず、見かけの割礼を割礼ではないと言い(ロマ2:28)、心の割礼こそ真の神が望んでおられる割礼だとして います(ロマ2:29)。エゼキエルの時代ではユダヤ人以外の人を無割礼の者と差別していたようですが、心に割礼を受けた者、すなわち心を皮で包んで隠していた状態から、開かれて本当の心の姿を見出した者はもう無割礼とは見なされないのです。無割礼の者であっても、信仰によって義と認めてくださるのです(ロマ3:30)。外見や肉体的なことでなく、神の信仰が正しいものを見分け、真実の義をに示しておられるのです。