荒れ果てたのを喜んだ

エゼ35:15「おまえは、イスラエルの家の相続地が荒れ果てたのを喜んだが、わたしはおまえに同じようにしよう。セイルの山よ。おまえは荒れ果て、エドム全体もそうなる。人々は、わたしが主であることを知ろう」
エドム、すなわちエサウヤコブと関係を修復していたのではなかったでしょうか?確かにヤコブが父イサクをだまして祝福を奪ったことで、兄のエサウヤコブを恨んでいました(創27:41)。ヤコブはハランに逃れ(創28:10)、長年そこにいましたが、セイルの地に帰ることになったとき兄の復讐を恐れました(創32:7)。しかし、エサウの態度は以前のようではなく、むしろ「私が連れている者の幾人かを、あなたに使ってもらうことにしよう(創33:15)」と、ヤコブに気遣う様子が描かれています。20年の月日は(創31:41)、エサウの心に怒りを鎮めさせ、ヤコブに好意をもたらすための時間だったのだと思います。ところがエサウの子孫、いわゆるエドム人たちはずっとヤコブの子孫たちを恨み、敵意を抱いていました(5)。20年でエサウの心は溶けたように思えましたが、彼の子孫の心にはわだかまりが残ったままだったのです。ずっと心に赦さない思いが残るなら、天におられる神から赦しを得ることはできません(マタ6:14など)。