立琴をひき鳴らすと

2王3:15「しかし、今、立琴をひく者をここに連れて来てください。」立琴をひく者が立琴をひき鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り」
こう言っては何ですが、竪琴とエリシャとはミスマッチのような印象があります。エリシャは「はげ頭」と子どもになじられたときに、彼らを呪い熊によって42人の子どもが亡くなっています。またやもめを養ったり(4:1-6)、子どもを死からよみがえらせ(4:33-37)、20個のパンを100人に与えたり(4:42-44)と、主の預言者としての活躍の様子はわかりますが、歌に興じ賛美するイメージはありません。ここでは「立琴を弾く者」を頼んでいます。それはエリシャ自身が、立琴をひく技術がないためだと思われます。それでも、立琴が奏でられるとき、主の手 がエリシャに下ったのです。この節には「主の霊」ではなく、「主の手」だとあります。ヘブル語の「yad(ヤド)」は「手」の意味のほかに「力」や「強さ」など広義にわたって使われる単語です。これ以降エリシャが立琴を奏でたり、弾く者を頼んだりすることはありません。これが最初で最後のエリシャと立琴との表記です。その都度、エリシャは主からの知恵を借りて、器や(4:3)小麦粉(4:41)を用いています。このとき用いたのは立琴でした。