2歴30:26「エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった」
ソロモンが主の宮を完成させた時にも、主の栄光が宮に満ち、誰も入ることができないほどでした(7:2)。それ以来、どの王の時にも全国民が一致して主を求め、主を賛美することはなかったのです。主に従ったヨシャバテやアサの時でさえも、これほどの記述は残っていません。しかし、ヒゼキヤが主の前でいけにえを捧げようと始めたときには、誰も集まりませんでした(3)。それでもヒゼキヤの呼びかけにアシェル、マナセおよびゼブルンは応え、集まってきます(11)。2月14日の種を入れないパンの祭りのときにはすでに「おびただしい大集団 (13)」が集まっています。次第に盛り上がる祭りの準備でついに聖別された祭司の数が足りなくなるという事態まで発生しています(17)。うっかりミスもヒゼキヤの祈りに支えられ(18)、主は寛大な心で祭りを受け入れてくださるのです。そしてユダ、イスラエル、在留異国人に至るまですべての人が喜びに満たされました(25)。祭りに参加したすべての人が主を喜び、賛美し、いけにえによって自分たちが贖われたことを感謝したのです。