ヨシヤは身を引かず

2歴35:22「しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために行った 」
「変装」してというのは、王だと気づかれずに敵の的を絞らせない手法ですが、第一の疑問として、なぜヨシヤは神の声に従おうとしなかったのでしょうか?あれほど主に立ち返るように国民をリードしていた王としては、不用意な感じがします。しかも、パロ・ネコはわざわざ使者を送り、ユダを攻めるために来たのではなく、その先のバビロニア攻撃のためにユダ国を通過したい、という申し出を出しています。パロが「神」の名前を出しているのは、もちろんユダ国が信じている聖書の神のことです(21)。ここでエジプトを止めたとしても、何の利益もないユダ国としては見過ごすことが最善の方法だったと思います。ヨシヤが死んだことで、神殿再建や信仰復興の勢いは止まってしまいました。それでも残された息子エホアハズがヨシヤの遺志を受け継いでくれていたなら…と考えてしまいますが、エジプトはエホアハズを気に入らず、エジプトに連れて行ってしまいます(36:4)。さらにユダ国には戦争の賠償金として銀100タラントと金1タラントを支払うように命じています(36:3)。エジプトが選んだヨシヤの次男エホヤキムは父ヨシヤのように主に従いませんでした(36:5)。あれほどの善王ヨシヤの最後の決断は自らの命を落とし、信仰から遠ざかり、多額の賠償金という結果になりました。