わたしの霊を注ぎ

箴1;23「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう」
この言葉を言ったのは「知恵」です(20)。ソロモンの代名詞のようになった知恵ですが、ここでは町の入り口に立って大声で罪人たち(10)に、訴えています(21)。「知恵」はヘブル語で「chokmah(ホフマ)」で主がソロモンに与えたものですが、ここ では一人格として取り扱われています。この「知恵」の叱責に心を留めるなら「わたしの霊」を注ぐと書かれています。霊のヘブル語は「ruwach(ルアーク)」で「息」とか「風」の意味もあります。さて、霊を注ぐことのできるお方は誰でしょう?ソロモンは箴言を語りながら、知らずと神のことばを伝えるような語り調になっています。神の叱責、つまりやってはいけないことに違反して怒られるとき、その語られることばを注意深く聞き、心に留め、悔い改めるなら、主は霊を注いでくたさるのです。それは最初の箴言「主を恐れることは知識の初めである(7)」とリンクしており、主を恐れない者は、主の叱責を恐れません。そして霊も注がれないのです。霊が注がれた者には、神のことばが知らされるのです。ソ ロモンの知恵は奥深い悟りに満ちています。