わたしを得ておられた

箴8:22「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた」
新約の時代にコロサイの教会には「むなしい、だましごとの哲学(コロ2:8)」が蔓延しており、パウロとテモテはその火消しに躍起になっていたことが手紙に書かれています。それは物質を悪と定義づける少々荒っぽい考え方の「グノーシス主義」と呼ばれるもので、キリストが肉体を持つゆえに「悪」なのではないかというものです。イエス様は被創造物なのか…ということは後々大問題になりますが、結果グノーシス主義を主張するキリスト教派は全部異端だということに結論づけられました。これを後押しするみことばが箴言に書かれています。神の働きを始める前から「わたしを得ておられた」 とあります。「得る」のヘブル語は「qanah(カナー)」で「買う」「所有する」の意味があります。「万物は御子によって造られ、御子のために造られた(コロ1:16)」とコロサイにありますが、神と共同で創造がされ、それはまず御子イエス様のためであったことがわかります。ダビデは賛美するとき聖霊に導かれ預言的な賛美をしましたが(詞22篇など)、ソロモンも箴言を語るときに主に導かれ神の奥義を語っています。