盗んだ水は甘く

箴9:17「「盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい」と 」
「わきまえのない者はだれでもここに来なさい(4,16) 」と2人の人に誘われています。一人は知恵で(1)、もう一人は愚かな女(16)です。知恵は「わきまえのないことを捨てて、生きなさい (6)」と勧め、愚かな女は「盗んだ水は甘い」と誘惑します。英語では「stolen water is sweet(NIV)」となっており、「甘い」のヘブル語は「mathaq(マサク) 」で「喜び」という意味もあります。「わきまえのない」はヘブル語「pathiy(パシー) 」が使われており、「単純な」とか「純真な」という意味があります。物事の本質を見極めない、あるいは見極める力のない人たちを指しています。わきまえがなくても、彼らにはチャンスがあります。「ちょっとぐらいならいいじゃない」というのはサタンが誘惑する時の常とう手段ですが、わきまえを忘れたらよみの深みに引きずり込まれるだけです(18)。人には十戒が与えられ、生きるための指針は十戒に書かれています。もし、盗んで自分だけが良い思いをするなら、盗んではならないという戒めに反しており(出20:15)、また盗まれた人を思いやる気持ちも欠けています。しかし、人は労せずに報酬を得たいものです。どの国でも「宝くじ」が人気が高いのはうなずけます。正当な代価を支払わずに、盗んだも のは一時的に人の心を満たすかもしれませんが、さばき主なる神から逃れることができません。