主を恐れることはいのちの泉

箴14:27「主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる 」
ソロモンの箴言の最初に書かれている「主を恐れることは知識の初め(1;7)」は、ソロモンの悟りの中でも中心的なテーマだと思います。以降、箴言31篇の内、17篇に主を恐れることが語られています。また、詩篇の中にも多くの「主を恐れる」ことが歌わており、150篇中23篇に登場しています。恐れるのヘブル語「yirah(ユイラー)」は、畏敬の念を持つような恐さのことを指しています。「造り主を敬う(31)」ともあるように、決して神を軽んぜず、神を認めることを「恐れる」と表現しています。主がくださった戒めを軽んじて、少しぐらいなら赦してくれるだろうと甘い思いを持つことが「恐れ」を知らない行為にあたります。ソロモンは主を恐れることは、「いのちの泉」だと語り、命に関わる重要な知恵 の言葉としています。「いのち」のヘブル語「chay(カーイ)」は、天地創造の最初に地上に生き物が誕生したときに使われている言葉です(創1:21)。主を恐れて生きるか、主を認めず、敬うこともしないで生きるかは人が選択するものです。神が人を無理やり恐れさせることもできたでしょう。しかし、神は人を愛する対象と見ておられます。愛は強制するものでなく、お互いに向き合い、真心をもって信頼し、尊敬しあうものです。創造主を敬い、賛美するなら主の栄光が輝くでしょう。