よみと滅びの淵

箴言27:20「よみと滅びの淵は飽くことがなく、人の目も飽くことがない」
「よみ」のヘブル語「sheowl(シェオール)」と「滅びの淵」の「abaddown(アバドーン)」はよくセットで表記されており(ヨブ28:22、箴15:11など)、人の手の届かない深い奥底を指しています。さらに「飽く」のヘブル語「saba(サバー)」は「満ち足りる」という動詞で、それに否定語の「lo(ロウ)」が付いて決して満ち足りることはない、という意味になります。歴史は死と滅亡を繰り返し行われてきました。歴史が誕生してから、今までに滅びなかった国はありません。神が選んだ民が作ったイスラエルとユダ国でさえ例外ではありません。それと同様に人の目も満ち足りることはない、とソロモンは言います。目は欲求の窓口であり、見ることによって人の心は様変わりします。人は死ぬことを知っていても、自分の欲を満たすことに飽き足りず、やがて死が人を飲み込んだとしても、次に生まれてくる子も同じように欲望を満たそうとします。ソロモンが使った「死」と「滅びの淵」が、人類を支配しています。しかし、イエス・キリストによって死は打ち破られ、人は欲望だけに従って生きる必要はなくなりました。