7「主は御霊です

2コリ3:17「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります」
「主」は英語の「Lord」で、ギリシャ語では「kyrios(コリオス)」で、イエス様を呼ぶときなどに使われています(マタ8:6など)。パウロは顔のおおいの話をしています。このおおいは目に見えるものではなく、心にかかっているものです(15)。イエス様は「真理はあなたがたを自由にします(ヨハ8:32)」と言われました。さらに、「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません (ヨハ4:24)」とも言われ、先の「真理」と「まこと」は同じギリシャ語「aletheia(アレイシア)」が使われています。自由と御霊、霊とまこと(ヨハ4:24)、真理と自由(ヨハ8:32)が違う箇所に書かれていますが、それぞれが意味を補っており、神の霊、真理、自由は1つのことを表す3つの要素です。神の霊があるなら、そこには真理と自由があり、逆に真理があるのに、神の霊が働かず、自由もないということはあり得ません。目に見えない顔のおおい、あるいは心のおおいが取り除けられるのは、霊的な比喩です。そしてやがて主の同じかたちへと変えられていきます(18)。これも比喩でみんながイエス様と同じ顔形になるわけではなく、主を愛する信仰、すべての人を愛するイエス様の人格へと変えられるという意味です 。神は目には見えなくても、内は変えられ、すべてを受け入れ愛せるようにしてくださるのです。