裸の状態になることはない

2コリ5:3「それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです」
アダムとエバは、罪を犯した後に裸であることに気づき主の御顔から隠れました(創3;8)。ペテロは船に上着を着ずに乗っていたときに、復活のイエス様に出会い、慌てて水に飛び込みました(ヨハ21:7)。肉の思いは神に逆らうようにできています(ロマ8;7)。神の前で裸で肉をさらけ出すことはできません。また神と顔を合わせて見ると死んでしまいます(創32;30)。アブラハムはイサクの嫁を探しに行かせるときに、しもべにももの下に手を入れさせました(創24;2)。信頼関係もないのに裸をさらけ出すことは、命の危険を冒すことに匹敵します。もし、神の前で何も隠すことがなく、命を預けることができるなら、その人は幸いだと思います。朽ちるものは朽ちないものを着なければならず(1コリ15;53)、どんなに抵抗しても世の始めから定められた事実は変わりません。人が死ぬのは、一時的なもので実は永遠に生きるか、永遠に滅びるかの2つの道しかないのです。