汚れたものに触れないように

コリ6:17「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ 」
これはパウロがクリスチャンと不信者との関係を語るときに引用した言葉です(15)。「汚れたものに触れてはならない (イザ52:11)」は、イザヤ書からの引用です。そのあと「その中から出て身をきよめよ(イザ52:11)」と続きます。不信者が汚れているとは、まだキリストを知らずにいることを指しています。つまりキリストの血の注ぎを受けずにいる人たちのことです(1ペテ1:2)。もちろん伝道する上では分け隔てなく福音を伝える必要があります。不信者が汚れているのは、目に見えない霊的な意味を持ち、決して話してもいけないという意味ではありません。パウロ自身が異邦人を獲得するために、そのコミュニティの人のように振舞ったことを証ししています(1コリ9:19-22)。その中でも「すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである(1コリ9:22)」は、未信者に対する重荷の現われで 、パウロの宣教の確信だと思います。日本ではクリスチャンの人口は少ないので、どうしても未信者との交わりは避けられません。クリスチャンだけでコミュニティを作ってしまうなら、アーミッシュのような存在になってしまうでしょう。ある一定の距離を保ち、できないことはできないと言える関係でいるこてが聖書的なのではないでしょうか?