甘い水と苦い水

ヤコ3:11「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか 」
ギリシャ語の「苦い」「pikros(ピクロス)」と「甘い」「glykys(グルクース)」が比較の対象として語られています。甘い水は主を賛美するものだとするなら、苦い水は人をのろう言葉になります(10)。イエス様は「口から出るものは、心から出て来ます (マタ15:18)」と言われ、言葉は心の関係があることを明言しています。もしそうならば、思っていても口に出さなければ、人は聖さを保てることになります。しかし、イエス様はさらに進んで「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです (マタ5:28)」と言われ、口に出さないだけではなく、心の中までもが聖められなければならないと教えています。世の詐欺師と呼ばれる人は、まことしやかに美辞麗句を並べ立てて人を騙します。彼らの心の中には本当に人をほめる感情はありません。言葉の力をよく知っているサタンならではの作戦です。逆に心にもない悪態をつくことで、人を傷つけることもできます。口から出るものが人を汚すと言われてイエス様のことばの通りです(マタ15:18)。賛美とのろいが同じ口から出て来ることだけは避けなければなりません(10)。かなりハードルは高いですが、さばかず、赦す心が必要です(2コリ2:10)。