この地には真実がなく

ホセ4:1「イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ」
「真実」と訳されているヘブル語「checed(ヘセッド)」は「あわれみ」とか「やさしさ」の意味があり英語NIVでは「love」と訳されています。イスラエルにはエルサレムがなく、エルサレムがないということは神殿および契 約の箱がないということで、彼らが国を独立した時から主を礼拝する環境にありませんでした。そこで初代ヤロブアムは金の子牛を作り、ダンとベテルに置きました(1王12:28-29)。これによりイスラエル偶像崇拝の道を歩み始めます。一方ユダ国もヨシヤが律法の書を発見するまで、本当の礼拝の仕方や何を守るのかが曖昧のままでした(2歴34;14)。両国とも悲惨なありさまでしたが、最後まで「神を知ることもない」状態だったのはイスラエルの方でした。それでも主はホセアを遣わし、姦淫の女ゴメルを妻にすることにより、何とかしてイスラエルに誤った道から立ち直って欲しかったのです。「言い争う」のはまだ完全に見捨てていない意味です。ホセアを通して主に立ち返ればまだチャンスは残っていたはずです。すべてはイスラエルの民次第です。