後の雨のように

ホセ6:3「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される」
「暁」はヘブル語の「shachar(シャヘール)」で「明け方」を指す言葉です。毎日太陽が昇るように、当然のように主は来られるという意味です。また「大雨」と「後の雨」はそれぞれ種まきと収穫の前に降る雨のことです。イスラエルは雨が少ないために農業には本来向いていませんが、主が「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう(申11:14)」と約束してくださり、その約束通り今でもイスラエルには10月から3月にかけてのみ雨が降ります。ユダヤ人は雨のタイミングに合わせて土地 を耕し、種まきをします。また、後の雨と呼ばれる春先の雨も穀物の成長には欠かせないもので、この雨が終わると収穫時期です。ヤコブの手紙の中では「農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています(ヤコ5:7)」とあり、主を待ち望む様子を農夫に例えています。主は朝日が昇るように、またイスラエルに雨が降るのと同じように、当然のように来てくださいます。主が来られることは不思議でも何でもないのです。